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フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)[ふりーどりひ2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神聖 : [しんせい]
  1. (adj-na,n) holiness 2. sacredness 3. dignity 
: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
皇帝 : [こうてい]
 【名詞】 1. emperor 
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 

フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)[ふりーどりひ2せい]

フリードリヒ2世(Friedrich II., 1194年12月26日 - 1250年12月13日)は、神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝皇帝(在位:1220年 - 1250年12月13日)、及びシチリア王(フェデリーコ1世、在位:1197年 - 1250年)。イタリア史関係では、イタリア名のフェデリーコ2世(Federico II)で呼ばれることが多い。
学問と芸術を好み、時代に先駆けた近代的君主としての振る舞いから、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトはフリードリヒ2世を「王座上の最初の近代人」と評した〔菊池『神聖ローマ帝国』、110頁〕〔ルイス「フリードリヒ2世」『世界伝記大事典 世界編』9巻、134頁〕。中世で最も進歩的な君主と評価され、同時代に書かれた年代記では「世界の驚異」と称賛された〔ルイス「フリードリヒ2世」『世界伝記大事典 世界編』9巻、136頁〕。普段の食事は質素であり飲酒も控えていたが、彼が開いた宴会は豪勢なものであり、ルネサンス時代を先取りしたとも思える宮廷生活を送っていた〔小森谷『シチリア歴史紀行』、163頁〕。フリードリヒの容貌について同時代のヨーロッパの人間は皆称賛していたが〔カントローヴィチ『皇帝フリードリヒ二世』、401頁〕、一方でイスラムの年代記作者は彼を「禿げ上がった赤毛で近眼の、奴隷であれば高い価格は付かない」風采の上がらない人物と記した〔菊池『神聖ローマ帝国』、111頁〕。しかし、その知性はイスラム教国アイユーブ朝の君主アル=カーミルを魅了した〔。
一方、「早く生まれすぎた」彼は教皇庁や北イタリアの都市国家と対立し、ローマ教皇から2回の破門を受けた〔。治世をイタリア統一のために費やしたが、教皇庁と都市国家の抵抗によって悲願を達することなく没した〔〔藤沢『物語イタリアの歴史 解体から統一まで』、110頁〕。また、イタリアに重点を置いた彼の施策はドイツに混乱をもたらした〔。
== 生涯 ==

=== 誕生 ===

1194年12月26日にフリードリヒ2世はイタリア中部の町イェージで神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世シチリア王女コンスタンツェ(イタリア名はコスタンツァ)の間に生まれる。出産の際にイェージの広場には天幕が張られ、その中でコスタンツァは血統の証人となる町の貴婦人たちに見守られながらフリードリヒを産み落とした〔藤沢『物語イタリアの歴史 解体から統一まで』、80頁〕〔小森谷『シチリア歴史紀行』、160頁〕〔出産当時コスタンツァは40歳を越えており、かつ初産だったために彼女の懐妊には疑惑がもたれ、フリードリヒの出生の疑惑を払拭するために公開出産が行われた。(藤沢『物語イタリアの歴史 解体から統一まで』、80-81頁)〕。
生後3か月目にフリードリヒはアッシジで洗礼を受け、ロゲリウス・フリデリクス(フェデリーコ・ルッジェーロ)の洗礼名を与えられる〔。この名は、父方の祖父フリードリヒ1世と、母方の祖父であるシチリア王国の建国者ルッジェーロ2世の両方の名前にあやかったものである〔トレモリエール、リシ『図説 ラルース世界史人物百科 1』、351頁〕。さらに洗礼名とともにコンスタンティヌスという名前を与えられた伝承も存在するが、真意は不明である〔西川「初期シュタウフェン朝」『ドイツ史 1 先史〜1648年』、248頁
〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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